錦織選手が求めたラケット
~新スティーム(NEW STEAM)開発物語~

錦織選手が求めたラケット~新スティーム(NEW STEAM)開発物語~

錦織選手が求めたラケット
~新スティーム(NEW STEAM)開発物語~


■2012年10月5日『それは何気ない一言だった』

楽天オープン準々決勝「錦織vsベルディヒ」戦の試合後、何気ない彼(錦織選手)の一言からこのラケットの開発は始まった。

「やっと届いたようなボールでも、もうちょっと深く、相手にダメージを与えたい!」

それを聞いたウィルソン担当者は、最初、その言葉の意味がまったくわからなかった。

長年、彼との付き合いの中で、このような言葉がでることなど無かったことなので、彼のその言葉が妙に引っ掛かっていたのである。

しばらく彼と会話を進めるうちに見えてきたこと。それはあれだけ多彩なプレーをする彼でも、より上を目指すには守備力が課題だと感じていることがわかってきた。

「やっと届いたようなボールでも、もうちょっと深く、相手にダメージを与えたい!」
この彼からの言葉をもとに、新スティーム開発プロジェクトはスタートした。

しかし、もう一つ彼からのリクエストが存在した。
「打った感じは今のラケット(スティームプロ)と変えないで欲しいんです!」

このもう一つのリクエストがこの先、新スティーム開発チームを苦しめることになることなど、この時は誰も知るよしもなかった。

彼からの2つのリクエストを社に持ち帰った担当者は、まずはアメリカ・ウィルソン本社に提案するべく新スティームの企画・発案に没頭した。

日本のラケット開発チーム内で何度も何度も討論する日が続いた。それは公には決して語られていない、日本開発チームの一番の苦悩の日々であったのは事実である。

数週間後、ようやく企画・発案書が出来上がり、ようやくアメリカ・ウィルソン本社に連絡を入れることとなった。


■2012年12月『打った感じは変えない』

錦織選手のリクエストをもとにスタートした新スティーム開発プロジェクト。
日本開発チームからの企画提案をもとにアメリカ・ウィルソン本社と日本ウィルソン開発チームとの激しい論議がスタートすることとなった。

アメリカ・ウィルソン本社が当初提案してきたのは、ウィルソンが持っているテクノロジーの一つである「パワーホール」を搭載することだった。
パワーホール
※パワーホール:1cm幅のグロメットホール。
打球時のスリング可動域が56度と通常の22度の2倍以上に広がる。


確かに「ディフェンス力をあげるためにパワーを付ける」という目的のみなら「パワーホール」を使えば、ガットのたわみがより大きくなり、いとも簡単にラケットをパワーアップすることができる。

しかし、この「パワーホール」テクノロジーを搭載するとラケットの打感は、まったく別のもの、別のラケットになってしまう。これでは意味が無いのだ。そう彼(錦織選手)のリクエスト「打った感じは変えない」には、この「パワーホール」では答えることができない。

今回の新スティームの開発コンセプトでもあり、彼のもう一つのリクエストでもある「打った感じは変えない」をウィルソン本社の担当者に理解してもらうため、何度も何度もディスカッションが繰り返された。

打った感じを変えずにパワーをアップするには・・・どうすれば・・・。

ここから、さらに試行錯誤の日々が続く。

ウィルソン開発センター(アメリカ・シカゴ)
ウィルソン開発センター
(アメリカ・シカゴ)
アメリカ・シカゴにあるウィルソン開発センターと日本の開発チームの間では、あらゆるサンプルテストが繰り返された。「パワーホール」の搭載ではなく、なにか他のテクノロジーの開発。そのリクエストをアメリカ本社に何度も何度も伝え続ける日々が続き、様々な仕様提案が繰り返された。何度も・・・何度も・・・。


そして遂に今回の開発コンセプトを実現できる画期的なテクノロジーを開発することとなる。それが「パラレルドリル」※というウィルソンが導き出した新テクノロジーである。


※パラレルドリル:
これまでのSTeamではストリングホールを楕円形のフレームに対し垂直に空けていたのだが、それではラケット面の上下左右数本を除いた他のストリングはフレームの外側から内側にストリングが入ってくる角度とストリングが引っ張られる方向に若干の差ができ、フレームの内側でストリングが接することになる。これに対し、ストリングが引っ張られるのと同じ方向にストリングホールを空けるのが「パラレル・ドリル」である。その結果、ストリングがフレームに接する部分が外側に移動する。そのフレーム厚の距離分ストリングの可動域が広くなり、スイートスポットの拡大パワーアップにつながることになるのだ。





■2013年2月:『打感がぼやける』

世界を転戦する彼(錦織選手)のもとに「パラレルドリル」搭載の新スティーム・ラケットサンプルが6パターン届けられた。

▼パラレルドリル搭載パターン▼
A=トップ12、サイド16ホール
B=トップ10、サイド14ホール
C=トップ8、サイド12ホール
D=トップ12ホールのみ
E=トップ10ホールのみ
F=トップ8ホールのみ

開発チームの本命・思惑はAだった。
(A=トップ12、サイド16ホール)

このAパターン、今回のサンプルの中では一番スウィートスポットが大きいラケットである。

A-F、先入観をなくすため、もちろんその違いを彼にはまったく説明せず、A-Fのラケットサンプルを試打してもらい、評価の時を待った。(実際には錦織選手の忙しい転戦の合間、オフの日を使っての試打・評価となる。もちろん1日で終わるはずもなく、その評価には何日を要することとなる)

試打の最初の段階ではじかれたのは、なんと開発チーム本命のAだった。

なぜ?

彼はAパターンのラケットについてこうコメントしている。
「打感がぼやける気がする」
彼の求めたもの、それはこれほどまでのスウィートスポットの拡大では無かったのだ。

そして、最終的に彼がベストとして選んだラケットはB(トップ10、サイド14ホール)だった。


パラレルドリル

■2013年2月24日『即戦力になる』

2013年2月24日:全米室内選手権(US National Indoor Championships 2013)メンフィスの大会で錦織選手が優勝を果たした。フェリシアノ・ロペス選手(スペイン)を決勝で6─2、6─3で下したのだ。

その時点で彼は「いま開発を進めているラケット(NEW STeam)を出来る限り早く試合で使いたい」とウィルソン社へリクエストを出している。
それほど、彼はパラレルドリル搭載の新スティームの完成度に満足していたのだ。

当初は2014年モデルとしてスケジュールを立てて進行していたのだが、彼の要望があり急遽、2013年7月29日ワシントンDC大会の公式戦にて使用開始できるよう、急ピッチで製造スケジュールを進めることとなった。ウィルソンとしては異例中の異例の出来事である。

それだけ錦織選手が満足し『即戦力になる』と判断したラケット。新スティーム。

従来のスペックは変えず、打感を変えず、スウィートスポットがラケット上方向に約10mm拡大、さらに求められる部分に必要なだけパワー性能をアップ!

これが、今後、世界ランキング10位以内を目指す錦織選手が選んだラケットである。



■2013年8月 新スティームについて聞いてみた

この新スティームについて日本開発チームの谷 泰仁(たに やすひと)氏に話を聞いてみた。

新スティームの説明資料を拝見させていただいて感じたのは、この新テクノロジー「パラレルドリル」がもたらすわずかな違いが一般のテニスプレーヤーでもわかるものなのか?って少々疑問を抱いてしまうのですが?どうなんですか?

よく「つまんねぇ~なおい、マイナーチェンジかよ!」って言われることがあるんです。

しかし、この新スティームは、あえて基本スペックを変えずに、あえて絞って、あえて小さな変化だけれども、でもその裏には綿密に計算され、考え尽くされた変化と、開発に携わった人々の思い、なにより錦織選手の希望と思いがギュッと散りばめられているんです。

実際にテストや試打をやられた方々の感想は、実は「パワーアップした」という感想より「打感がすっごくクリアになった」という感想の方が非常に多かったんです。

打ち比べるとほとんどの人が、まったくのブラックボディーの状態でも「こっちが新しい方だよね」ってわかるくらい(笑)

宣伝の打ち出し方のこともあって、ほとんど語られていないのですが、実際にこのラケットを打った方の多くは打感(フィーリング)の良さ、気持ちよさを実感していただけています。


 今回の開発で一番大変だったこと、辛かったことはどんなことですか?

最初の段階で日本開発チームとしての方向性を決めるところが、もっとも精神的に大変でした。悩み、葛藤などが続いた期間です。

パワー性能のことを伝えていたため、当初アメリカ本社からは「パワーホール」押しで提案がきていましたが、今回の企画を発案した日本サイドとしては、アメリカ本社へ明確な方向性、およびコンセプトを打ち出し、理解してもらう必要がありました。
もし、その方向性、およびコンセプトが少しでも違っていたら、まったく違うラケットが出来上がっていたかもしれません。それこそエナンモデル(TOUR LIMITED)のようなラケットになっていたかも・・・。
しかし、今回はあえてそうしなかった。錦織選手のリクエストを最大限に反映したラケットを作り上げることが一番のコンセプト。

その結果、新たなテクノロジー「パラレルドリル」が誕生したのは本当にすごい成果だったと思いますし、私個人としては、非常に完成度の高いラケットが出来あがったと満足しています。




今回、この中では書き切れないほど沢山の開発秘話をお聞きする機会をいただけて、開発に携わった沢山の方々の苦労や葛藤、また商品開発にむける情熱などを知ることができました。この「開発物語」を読んでいただいた方が、少しでもこの開発に関わった方々の情熱を感じていただくことができたなら幸いです。

今回、取材にご協力いただいたウィルソン ラケットスポーツ事業部:谷様をはじめ営業の方々、本当にありがとうございました。

■取材協力:ウィルソン ラケットスポーツ事業部:谷 泰仁(たに やすひと)

■文:テニスサポートセンター:片岡 俊彦(かたおか としひこ)



お問い合わせはテニサポ仙川店まで

TEL:03-5314-2722




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